※キャラクターの把握の為の習作。雪男おks可愛いよ雪男。





「お兄ちゃんでしょう、我慢しなさい」

道を歩いていたら、親子のちょっとしたやりとりを見かけることになった。

「なんでいつもオレばっかりがまんしなきゃいけないんだよ!」

憤慨する子供の姿をぼんやりと眺め、

「だーってー、たーのだもん。おにいちゃんが…たーのも、とろうとするからー」

わんわんと泣き喚きながら母親のスカートを掴んでいる弟に視線を遣る。
保護されている。
守られている。
彼はまだ、思い通りにならない苦しさも悔しさも、知らないままでいる。

「ね、ゆうちゃんはたーちゃんより三年もお兄ちゃんなんだから、我慢できるでしょ?」

理不尽だ。
ほんの三年———それも生まれてすぐの三年なんて大した積み重ねもない、そんなものを引き合いに出されても困るだろう。
そう思って見ていたら、

「…もういい」

さっきまでの怒りを収めて、少年は俯いた。

その姿に、どこか近く、しかし確実にぶれた存在を、僕は知っている。
見慣れたあの姿はやっぱり何かおかしかった。


知りたくもない秘密ばかり、知ってしまう。
帰って顔を合わせるのが憂鬱だ。
けれど、それを気付かせないようにしなくてはならないのがもっと憂鬱だ。

ぼんやりとしている間にさっきの親子は随分と遠くの方に歩いていたらしい。
プレッシャーから解放された気がしてふっと息を緩める。

そのまま振り返って家の方に歩き出すつもりだった。

「あれ、雪男じゃねぇか! 今帰るとこか? タイミング良いな−。ほら、帰るぞ」

タイミング?
良いわけがあるか。
最低だよ。

「ああ兄さん。今日はどうしたの?」

「んー? そうだなぁ…」

機嫌良さそうに話し始める兄を横目に、ずるずると自分の奥底から這い出してくる記憶との戦いが始まった。

try and error and———

全く、どちらが兄なんだか。 例えばそんな風に思うたびいつも、双子という存在の言いようのない気味の悪さを思い出す。 そうだ。 どちらが兄で弟で、なんて事は最初から酷く恣意的な問題なのだ。 どちらが、先に認知されたかの差。 しかも、先に空気を吸ったほうが弟になるのだ。 なんとも理不尽な認定方法ではないか。 だから、仮に兄が兄らしくなかったからと言って、それを責めるのもお門違いなのだ。 自分達は全く同じだけの時間しか生きていない。 それなのに、出来の善し悪しだとかそういう問題ではなく、兄は間違いなく兄だった。 寧ろ、兄でしかなかった。 生まれたときからずっと、兄以外の役割を与えられてこなかった。 ほんの一秒ですら、彼は兄でなかった時など無いのだ。 それはとても強靱で、その癖に脆すぎる基礎である。 「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」 なんて言われるまでもなく、弟にありとあらゆるものを譲る。 手を引いて歩く。 喧嘩らしい喧嘩をした覚えがない。 「俺」と称するのと同じぐらい当たり前に「兄ちゃん」と自称していた。 試しに、呼ぶのをやめたことがある。 ずっとお兄ちゃんと呼び続けていたのに、あるとき急に違和感をおぼえたのだ。 急過ぎて自分でも戸惑ったが、そういうものなのかと妙に納得したりもした。 (思えば反抗期にしても「ああこれが反抗期というものなのか」と妙に冷めた実感があったものだ) しかし、それまでがそれまでなのでお兄ちゃん以外の呼び方が思いつかず、仕方なく、ねぇ、とかあのさ、とか、そういった類の呼び掛けで代用した。 普通に考えればそのくらい大した問題ではなかったのだが、例によって変な所で敏い兄には即座に暴露た。 「雪男、なんか怒ってんの?」 お兄ちゃん、と呼ぶのをやめて三日ぐらい立った頃だったろうか。 「どうして?」 「だって兄ちゃんのことあんまり呼ばないじゃないか」 何かあるとお兄ちゃんお兄ちゃんと呼んでいたものを、自分でその呼び方を封印したがために呼ぶ回数そのものが減っていたようだ。 そのときの自分はそんなことにちっとも気づいてはいなかった。 策士策に溺れる。 いやしかし、あの頃の自分は別に「気付かれてはまずいような話」だと思っていなかったのかもしれない。 「気のせいだよ」 「…俺、何かした?」 兄は僅かに顔を強張らせた。 「別に何もしてないんでしょ? 思い過ごしだよ」 すると、どういうわけか益々眉間に皺を寄せて唇を噛んだ。 完全に俯いてしまったのが心配になり、いつものように手を握った。 「ーーー怒ってもないし、避けてもないし、嫌いにもなってないよ」 はっと顔を上げたあのときの兄の表情をなんと言えば伝わるだろうか。 捨て犬のような、が正しいのか。 (幸か不幸か動物に好かれた事がないので比喩表現として知る以上のものではないのだが) 兎に角、これ以上捨てないで下さい、と読み取れるような顔でこちらを見ていたのだ。 当時の自分は初めてのことに兄以上に狼狽えた。 あの頃の自分にとっては、出来が悪かろうが粗暴だろうが、兄は無敵の存在だった。 いじめられては泣き、妙なものが見えては泣いていた自分とは違って、やたらと強く見えた。 神父さんに頭を撫でられるのと同じように、兄に手をつないでもらうのが嬉しかったのだ。 その兄が、自分のちょっとした気紛れに怯えるなんて思いもしなかった。 「…あ…えっと…呼びかた…変えてみようかと思っただけなんだよ。けど良いのが思いつかなくて」 「…雪男?」 恐る恐る名前を呼ぶ兄は、これ以上ないぐらい、みっともなく思えた。 「…そうだ、あの…兄さん、とか…」 それを聞くや否や、 「なんだ、そっか。びっくりした…けどそうだよな…もうすぐ中学生だもんな。いつまでもお兄ちゃん、じゃおかしいか」 といつも通りへらへらと笑ってみせた。 そういえばあの頃の兄は声が変わりかけで少し掠れていたんだったか——— 「…話聞いてたか、雪男」 覗き込んでくるのは今正に隣にいる兄である。 疾うに声の変わってしまった兄だ。 「聞いてたよ、で、酒屋さんの前で横転したバイクがどうなったの」 続きを促すと、げ、と妙な声を上げ、 「…いや、絶対聞いてなかったんだって…話は合ってるけど…うーん…」 と鋭いコメントを寄越した。 うん、ごめんね兄さん。 話は聞いてたけど、そのことについて考えてはいなかった。 「なぁ、雪男」 急に改まった調子で言うから、思わず少し身構える。 「何?」 暫し考えるような間があいて、 「…ごめんな、駄目な兄貴で」 ここ最近で一番怖い思いをさせられた。 「何…急に…」 「いや…あー…なんでだかよくわかんねぇんだけど…こう、ふっと思ったんだよ」 双子にテレパシーがあるとか馬鹿なことを言っていたテレビの番組を鼻で笑ったことがある。 『そんなもんあったら、考えてること筒抜けってことじゃねぇか』 げんなりとしていた兄の姿をありありと思い出せる。 だというのに 「雪男は俺よりずっと出来が良くて、学校にもちゃんと通って、しっかりしてるけど、俺なんかの弟なんだなぁとか思ったらさ」 そんなものより遙かに確実に 「可哀想になってきてさ」 正確に 「どうしたの、珍しく気弱じゃないか」 的確に 「けど、お前が弟で良かったよ。でなきゃ俺、」 ———もっと酷い屑野郎だったよ。

燐の「強さ」の根幹はお兄ちゃんであること。雪男の「揺らぎ」の原因は弟であること。 とか、そんなことを考えながらカタカタ。 双子云々に関しては 全国の双子に土下座して謝るべきかもしれません。 けど少なくとも奥村兄弟については気味の悪いものを感じているのは確か。 2011/05/19