【昼夜反転/in the midnight】
眠くならないのは久しぶりだった。 大体毎日九時を過ぎたらじわじわ眠くなり出して、十一時には布団の中に居る、という生活を送っているのだ。 なのに今日はどうしたわけか十二時を過ぎても寝られない。 「雪男遅いなぁ」 いつも、あいつが何時に帰ってきているのか知らない。 自分が寝てから帰ってきて、自分が起きるまでにはもう寝床から姿を消しているのだ。 一体何時間寝ているのか、さっぱり分からない。 『寝ないと身体に悪いぞ』と注意してやっても 『兄さんはちょっと寝過ぎ。まぁ、寝る子は育つって言うけど』とか言ってさくっとはぐらかされる。 確かに腹は立つのだが、それとは別にお兄ちゃんとしてちょっと心配ではある。 まぁ寝なくても良いぐらい身体は成長したのかもしれないが、それでも寝ないとぼうっとするので危ない。 というか、今でこそああだが、昔は本当に体力がなかったのだ。 何か有っては熱を出して倒れる雪男を見慣れている身としては、いつ倒れるかと気が気ではないのである。 …とか言うと『昔は昔、今は今だよ兄さん』とかむっとしながら言いそうな物だが、それでも心配な物は心配なのである。 過保護? うるせぇほっとけ。 というわけで、折角なら雪男が帰ってくるまで起きておこうか、なんて思ったのだ。 ただ布団の外にいたのではぶつくさ色々な事を言われそうな気がするので (あいつ自身遅くまで起きてる癖に理不尽だが)寝たふりをしながら。 お陰様で全く眠気が訪れないまま一時半を過ぎた頃だ。ドアノブを回す音がする。 「ただいま」 部屋に帰って来るなりそう言った。 おかえり、と言ってやりたくて口元がむずむずしたが、今俺は『寝ている』ので返事をするのはおかしい。 「今日の仕事は楽に終わるはずだったのにこんなに時間を取られてるようじゃ駄目だね、僕も」 独り言、なんだろうか。顔が見たくて仕方がないが今はまだ駄目だ。布団の端を握る。 「つかれた」 殆ど溜息に混ざって聞こえないような音で。日頃どれだけ怒られても聞き流せるのに、これは駄目だった。 何か胸にざくりと刺さるような一言だったのだ。 『いい加減にしてよ』でも『頭が痛いよ』でもない。 俺のことに関してではない。雪男が雪男のために言ったのが『つかれた』の一言だけなのだ。 服をハンガーに掛ける音がして、その後にひたひたとこちらに足音が近づいてきた。 「兄さん、寝てる?」 返事するのを戸惑うような質問の仕方をするなよ。寝てたら『うん』とは言わないんだぞ。そう思って黙っている。 「怖いから隣で寝ても良い?」 ………。 ………………。 ………………………ナニヲイッテルンデスカ雪男君? 「…はぁ、何言ってるんだろう、僕は」 また大きく溜息をつくのが聞こえて、雪男は何事も無かったかのように自分のベッドに戻ろうとした。 限界ですか? 限界です。 がしっと勢いよく腕を掴んだら、雪男はとびきり怖い物を見たような顔をした。 「な…ちょっ…兄さん、起きてたの? ていうかいつから起きて…」 顔を蒼くしたり赤くしたりと忙しい。 「雪男」 あれやこれやと頭を使って訊くのは苦手だ。だからいつも、雪男が答えを言ってくれるのを待っている。 「いや、あの今のはなんて言うか…ちょっとした冗談というか、気にしないでくれるかな」 「俺が寝てると思ってたのに?」 じわじわと目の周りを赤くしていく。ああ、泣きそうだなぁ、と経験的にそう思った。 「それは、えっと…」 自分の数百倍頭の良い雪男が言葉に困っているのを見ると何だか気分が良くなる。鼻が高くなったような。 「怖いんだろ? 別に遠慮しなくていいぞ、兄ちゃんが一緒に寝てやるから」 「ば、子供扱いしないでよ」 顔を真っ赤にしてぷい、と逸らす。 「お前が言ったんだろうが」 そこなのである。何も過保護なお兄ちゃんが提案したわけではなく、雪男君が自分の口でそう言ったのだ。 ここんところ重要です。テストに出ます、いつか。 「あー…あー! …そうだよ、僕がそう言いました」 開き直った口調の割に顔は相変わらず真っ赤である。 最初から素直に認めりゃ良い物を。そう思いつつ、それが出来ないのが雪男なのだというのもよくよく分かっていた。 何せ、生まれてこの方ずっと一緒に居たんだから。 「認めるから、離してよ…」 掴みっぱなしになっていた腕を指して言う。 「なんで」 「なんでって…いや…寝る前に…シャワー浴びて泥とか落としたいし…」 何となく、こいつ逃げるつもりだな、という気がした。 「ふーん、そうか」 そう言って大人しく手を離すと、ほっとしたように雪男は溜息を吐いた。 「じゃあ、行ってくるから先に寝てて」 雪男はタオルやら寝間着やらを手早く掻き集めてそう言った訳だが、 「あ、さっき雪男に触ったから俺も泥がついてる」 まじまじと手を見つめてそう言ってやった。 「そんなわけな…あ…いや、何でもない」 そうだよな、それを言ったら駄目だよな。 「うーん、このまま寝るのもなぁ。よし、俺もシャワー浴びに行く」 「ちょ、兄さんやめてよ」 心底嫌そうに言う。けれど、まだ薄っすらと頬が赤いままだ。わかりにくいけど、わかりやすい奴だなぁ雪男。 「なんでだよー。そのまま寝たら気持ち悪いじゃねぇか」 「す、水道で洗えば良いじゃない」 「別に良いじゃねぇか。どうせここの風呂は広いんだから」 「そういう問題じゃなくて」 「じゃあどういう問題なんだ」 「………っ………それは…」 眉を寄せて一生懸命言い訳を考えているようだが、生憎いつもいつもそれを飲んでやるお兄ちゃんじゃありません。 普段は海のように深く山のように高い心でそれを許してあげているだけで、な。 「よし、問題なし」 「や、ちょっと、兄さ」 ぐるぐると目が回るほど早く色んなことを考えているであろう雪男が、決してきちんとした理由を見つけてくることなどできないはずだ。 そういう確信めいたものを感じながら、手を引いて部屋を出た。 理由? 決まってるだろ、こいつの兄貴だからだって。六月に出した一冊目のしょっぱい無配コピーから。 midnightですが別にそんな中身でもないっていう。笑 わざとぶれさせてみたというお遊びでした。笑 2011/06/26(9/20格納)