「あ、燐。目は覚めた?」 ノートは一応開いていたが殆ど一文字も書かれていない。 「しえみ?」 「起こした方が良かったのかも知れないけど、なんか良い夢見てるみたいだったから声掛けづらくて」 身体を起こして辺りを見渡したら苦笑いしている風な面々(若干名馬鹿にしている様子なのが居たのは無視する)が目に入った。 ああ。 またやってしまった。インターバル、或いは境界未満
「奥村君、また居眠りかいな」 これで一週間制覇やね。などと、志摩はやたらおかしそうに言った。 「お前本気で祓魔師なる気ィあるんかいな」 勝呂はそういうことに厳しい。 まぁほんとはそのくらいじゃないといけないんだろうなぁとは自分でも時々思うことなんだが。 「まぁ、奥村君かて疲れて寝てしまうことぐらいありますよねぇ」 子猫丸! お前マジで良い奴だな。最高だ。 「ほな毎日何やっとる言うんや。まさか毎晩特訓してるわけでもあるまいし」 ぎくり。 「あれ、なんや奥村君、図星かいな」 「嘘やろ、それだけは絶対に有り得へんわ」 「いやー、ほら、なんつーか? 俺ぐらいになると修行も過酷なものになるっていうか?」 嘘、ではないのだ。確かにある種修行と言っても間違いない。いっそ苦行だ。 「お前ええかげんにせえや。絶対嘘やろ」 「んなことねぇよ。つーかマジでお前何を根拠にそんなこと言ってんだよ」 「顔や、顔。…そんな過酷で辛い修行やー言うてんのになんでそんなにやにやしとんねん、きっしょく悪いな」 どきっ。 「………あー。…なぁ、奥村君。修行ってあれか。こっちの方かいな」 にまにまとしながら志摩は決して上品ではないジェスチャーをする。 「ああ、また志摩さんの病気が始まってしもた」 つーか子猫丸よ。お前も解ってんじゃねぇかよ。同類同類。 「近い、が『げんみつ』に言うとちょっと違うけどな」 そして細かいことは決して口に出せないけどな。色んな意味でマズいので。 「なんやえらい思わせぶりなこと言うなぁ」 「ほっとけ志摩。どうせ大した話ちゃうて」 ナイスだ勝呂。しかし大した話と言えば大した話なので正しくはない。 だってほら、毎晩毎晩さながらAVのような夢を見ている段階で結構やばいのに、その夢に出てくるのが実の弟だ、とかさ。 やばいを通り越して———なんて言うんだ? なんかよくわかんねぇけど取り敢えず相当大変な事だってのはよく解るんだよ。 「兄さん?」 ぼうっと見入っていた。魅入っていた? の方が良いのか? 難しいことはわからねぇけどまぁ要するに特に何をするでもなく雪男の顔をただ見ていたのだ。 「あ、わりィ、どうかしたか?」 「どうもしないよ。ただ、気味が悪くなる程兄さんがこっちを見てるから、何か有ったのかと思っただけ」 「そっか」 俺は多分、生まれたときからずっと一緒に居たせいもあって、この顔立ちがとても好きだ。多分、一等好き。 小さい頃はもう少し丸っこかったが年々シャープになっていくその変化を純粋に好ましいと思っている。 グラビアアイドルだとかああいう良さとは方向性が随分と違う。あれは、愛される顔だ。 雪男は、整った顔。 「ねぇ、何。僕の顔に何か付いて…あ、まさかまた黒子が増えたとかじゃないだろうな」 慌てて顔にぱたぱたと手で触れる。 大丈夫だ、いつも通り左目の下に二つと口元に一つしか無い。 というか雪男、仮に黒子が増えてたとして触って分かるものなのか。 「わ、わかんないけど…でもどこにあるか兄さんが言ってくれるかと思って」 相当慌てている。そんなに深刻な問題なんだろうか。いつも不思議に思う。 ———黒子が多いのは色が白いからだな。 そう言えば昔からそのことを気にしていた雪男にジジイはそんなことを言っていた気がする。 俺と比べてそんなに肌の色に差があるとは思えなかったが確かに夏が来る度に頬を真っ赤に焼いているのを見るとああ白かったんだ、と気付く。 数年前からは諦めて日焼け止めを塗っている。 実に面倒くさそうに布から出ている部分に塗っていくのだが、そんなときにうっかり 『あ、新しい黒子が』なんて言おう物なら鬼の形相で『見たな…!?』とか言う。 「別に増えてねぇよ、今は」 「今は? 何、これから増えること前提なの、ねぇ兄さん」 こちらの胸ぐらにつかみかかるような勢いだ。必死過ぎるだろ。 「ていうかさー雪男」 「なに」 意識を逸らそうと、前に聞いた話をすることにした。 「俺しょっちゅうお前の話聞くんだけどよ」 「…ああ」 「一番面白かったのは、『雪男』って書いてるからどんなゴリラみたいな男が出てくるんだろうって思ってたら、 白雪姫を男の子にしたみたいな子が出てきて超びっくりしたんだけど、って奴でさ。 まぁ確かに雪男ってゆきおとことも読めるけど、みたい、な…」 あれやばい、凄く怒っていらっしゃる。 「兄さん。それって一々僕に言わなきゃいけない話だった?」 俯いて声を震わせている。ん? 怒ってる…訳じゃ無いのか? 「良いじゃねぇか、白雪姫は褒めてるんだと思うぞ。多分。…いや、なんていうか、新鮮だなぁと思ってさ。 俺にとっては雪男ってゆきおだけなんだよ。寧ろゆきおとこの方が馴染みがないから変な感じがしてさぁ」 「まさかそれ、相手に言ってないよね」 こいつ、こういうときちょっとむかつくな。 「俺が誰かと話してたとでも思ったか!? 盗み聞きに決まってんだろ、ばか」 すると、溜息を吐いて、 「よかった」 と小声で言う。 断じて。 決して。 限りなくそういうタイミングで「無かった」ことだけはよくわかる。 けど、こうなんと言いますか 今こいつすげぇエロい顔しなかったか。 みたいなことを考えてしまって非常に気まずい。 因みにここのところ二週間ほどそれはもうお盛んなので(誤解されないように一応言っておくと、夢が、だ)思い出したらやばい要素しか見当たらない。 ばれたら半殺しぐらいは覚悟しなければいけないような気がしている。何せ、相手は雪男だ。 でも雪男だからこれだけ延々悩まされているのだとも言える。 「どうしたの、兄さん」 顔にまだ赤みが残っている。恥ずかしそうに言うのはやっぱりさっきの話が尾を引いているからかもしれない。 正直に言って洒落にならない。 (夢で見たような顔するなよ、お前) でも多分、夢で見た顔だって俺の知ってる雪男の顔から想像してるんだろうから当たらずとも遠からずなんだろうとは思う。 ラッキー? いや、全然。 「なんでもねぇよ」 「なんでもないって顔じゃないよ」 「だから! なんでもねぇ…ん…だよ」 語尾が消えたのはまさに不可抗力であって、そればっかりは怒られても困るというかまぁどうしようもなかったんだよ、マジで。 前に見たことのある気がする光景がそのまま目の前に出てくるのが、デジャヴ、というらしい。 既視感、と日本語にされる方が余計わけわからない気がしてカタカナの方で覚えていたんだが、それだ。正に、それだ。 昨日見た夢とそっくりなのだ。 こうやって雪男が困ったような顔をしていて、 俺は手を伸ばして髪の毛を梳いて、 ちょっとびっくりしたように目を丸くして、でもそのあとふわっと笑ってくれる。 偉そうになったとか色々思っていても、やっぱり可愛い。 …かわいい。 「…ね、ねぇ…兄さん…?」 で、このあとどうなるんだったっけ。 「…ん?」 鼻にキスして、眉間にキスして、で、どうしたんだっけ。 「あの…ちょっと…」 「なに」 「いや、あ…あの、えっと」 あ、泣きそう。 「…何やってるんですか奥村君」 がつん、と衝撃が走って顎に冷たい金属が押し当てられた。 眼鏡を思いっきり押し上げて容赦なく引き金に指を掛けている。 「お…わ! おま、雪男、それ本物…!」 「本物も何も、使える銃しか僕は持ってません」 鬼の形相で思いっきり睨んでくる。 「急に、出すなよ!」 「そっちこそ急に何やってるんですか!」 先生の顔でマジギレである。ていうか先生が生徒に銃を向けるってどうなんだ。 「何って、そりゃ…」 そこまで言いかけてはたと恐ろしい事に気が付いた。 そうだ、これ、夢じゃないんだった。 夢の中では何をしても怒らない(というかあれこれしてくれちゃったりしなかったりするんだがそれはさておき)雪男だが、現実にはそういう訳に行かない。 「あー、うん、ごめんな雪男」 こういうときは素直に謝る方が良い。ていうかそうでもしないと命の危険を感じる。 「ごめんで済むと思って…」 そこまで言って、何かひらめくような事でもあったのか、はっと口を閉じた。 「あの…雪男くん?」 「………頭を冷やしてくる」 言うが早いか、こちらの返事も聞かずにダッシュで部屋を飛び出した。 しばらくぽかんとして半開きの扉を見ていたのだが、 「…あれ、これってちょっとやばくねぇ?」 と数テンポ遅れて気付いた。 (わざわざ「奥村先生」にならなきゃ『ていこう』できませんって、ことか?) それって、色々、問題がある。 色々。 いろいろ。 「…やべぇ…どうすっかな…」 ますます勝呂達には言えない話になってきたことに、一割ぐらいの不安と八割以上のわくわくを感じながら、どうにもむずがゆい口元を押さえた。ブラコンが行き過ぎて色々あれな燐ちゃんとブラコンだがホモではない雪男 とか色々考えてた時の話その2。 お兄ちゃんは大体脳天気です。 2011/07/06(9/30格納)