火傷するまで分からない。 乾燥の極限で、 爛れているのに、気付かない。砂漠熱傷
「あちーよ、しぬよ」 ベッドの上でぐったりとしながら兄は呻いた。 「そう思うなら自分の方に戻れば? 暑苦しいじゃない」 「だってお前涼しそうなんだもん」 そう言いながらぺたり、と首に触れる。体温の高い手に触られるのは酷く不快だ。 「仮に涼しそうに見えるんだとしたら、そう見えるように努力してるんだよ」 それに、これだけだらだらと汗をかいているというのに、兄は一体何を見ているんだろう。 「そうなのか?」 猫にするように喉元を触られて、余計に不愉快になる。そういうのは飼い猫にすればいいのに。ほら、そこで寝てる奴に。 「わからない。だって、僕は暑いとしか思ってないから」 これ以上兄に構っていたら苛々して体感温度が上がりそうだ。さっさと本に意識を戻そう。 「全然そんな風に見えないのに」 だから、背中とか、首とか、汗で相当べたべたしている。大体直に触っておいて分からないってどういう事なんだ。 呆れながら頁を捲る。あまり長い間同じ頁を開けていると、汗が染みそうで怖い。 すると何を思ったのか、兄はのそっと起き上がり、真正面から勢いよく抱きついてきた。 「…兄さん、暑いよ」 蒸れたような、汗のにおいがする。 「知ってる。俺もあちーからな」 立っているときは身長差を感じるが、こういうときはあまりよくわからなくなる。 耳に触れる空気がじっとりと熱い。真夏の、夜気みたいに。 「じゃあ離してよ。べたべたする」 半袖のシャツで覆われていない所は、湿った皮膚が直接触れて気持ちが悪い。 「どうせ、最初からべたべただったろ」 そういう問題ではない。 「余計べたべたしたら嫌だろう、兄さん」 少なくとも、距離を開けていればもう少し涼しく感じるはずだ。空気が、対流するから。 「んー…わかんねーわ」 だというのにますます密着させるように腕を回すと、思い出したようにこちらの眼を覗き込んできた。 自分の瞳より、もっと、青い。 そこだけはひやりと冷たいんじゃないかと期待するような、そんな色だ。 「どういうことなの、それ」 こちらの非難を理解したのかしないのか、ぱちぱちと二度ほど瞬きすると、 「だって、やっぱりなんか冷たい気がするし」 などと言って頬をすり寄せてくる。 だから、あついんだって。 「気のせいだよ。僕だって人並みの体温なんだから、冷たくはない」 けれど、不可抗力的に耳に掛かる吐息が熱い、ということはやっぱりそれなりに表面の温度は低いんだろうか。 「そうかぁ?」 凄く近い所で眼が合った。ぱさぱさという瞬きの音まで聞こえる。空気が圧縮されたように重い。 粘ついた、水っぽい、手触り。 「そう、だよ」 時々兄は、視線で妙なプレッシャーを掛けてくる。威嚇されているような、捕捉されているような。 何とも言えないその感覚がどうにも苦手で、つい眼を逸らす。 この距離だ。眼を逸らせば一瞬でばれるし、ばれたことも一瞬で分かる。 それはそれでいたたまれないのだが、まだマシだと思える。 「なぁ、雪男」 大体こういう時はいつもより不機嫌そうな調子で呼ぶ。 「…なに」 「お前、わざとじゃ、ないんだよな?」 眉間に皺を寄せて威圧するように。 「わざと?」 べったりとひっつかれていると首を傾げることも出来ないので、瞬きで代用する。 何秒間だか何分間だかよくわからないが、じりじりと暑いだけの時間が流れた後、 「……もう、良い」 と『降参』の合図を出して兄は身体を退かせた。 「…変なの」 その一言に何か思うところがあったのか、 「変なのは、お前の方だよ雪男」 そう言って顎の下に溜まった汗を手の甲で拭った。 やっぱり暑かったんじゃないか。馬鹿な事して。 「僕が? 兄さんよりはマシだよ」 少なくとも、暑いときは暑いって言うから。 「…いい加減、洒落にならねぇよ」 ぼそりと呟いた言葉の意味を計りかねて、首を傾げた。 「やっぱりお前おかしいよ、雪男」 べしべしと頭を叩くように尻尾が抗議してくる。 完全にそっぽを向いてしまった兄の表情は、わからないのだけれど。 ずっと開きっぱなしになっていた百五十二頁目の縁が、汗を吸って波打っていた。 「あーあ、だから嫌だったのに」 諦めて栞を挟んで閉じてみたが、やはりその近辺の紙は不自然にカーブしていて不格好だ。 「これ、どうしてくれるの?」 猫背を本の角で軽く叩く。さっき尻尾で叩かれたお返しだ。 「兄さん、聞いてる?」 薄気味悪い無言。まさか、暑さで意識が無いとかじゃないだろうな。 「ねぇ、兄さん。大丈夫? 起きてる?」 尻尾一つ動かさず、だんまり。 機嫌が悪いなら悪いでそう言えば良い物を。 「つめたい水、持ってこようか?」 返事が無いので仕方なくベッドから出て、正面から確認しようと、して、 床に引き倒された。 何するんだよ、と抗議したかったが身体を激しくぶつけた痛みで空気がどこかへ行ってしまって咄嗟の声が出ない。 はくはくと空気を確保するために格闘していたら、 「もう、わけわかんねぇよ」 兄は呻くようにそう言った。 困っている、弱っている、混乱している。ぱちぱちと音を立てて兄の思考回路が爆ぜている。 「何とかしてくれよ、雪男」 あの奇妙なプレッシャーの「正体」をやっと理解しかけたところで、口を塞がれているせいで思考するために酸素が足りないことに気付いた。 ぬるりと神経その物を舐められているような浮いた感覚にぞっとしながら、 ついに考える事を放棄してしまったらしい兄をどうしようかと、こちらもろくに回っていない頭で考えた。 (蜃気楼、だろうか———)全くのノーガード戦法をとる雪男に完全に振り回されてる燐。 色々出来る割に全く進んだ気がしないとか…つら… とか言いながら、実際雪男がそんなに鈍い訳がないかとも思ったり笑 夏の暑い時期に書いたのでもう、暑さに対する殺意に満ちあふれています笑 2011/07/31(11/13格納)