※本当に無駄に二十五歳ですすみません。お酒は二十歳を過ぎてから。(これが言いたかっただけだな貴様) 「おいおい志摩君、飲み方が足りないんじゃねぇか?」 酒の席の何が嫌って、これだ。 「そんなことあらしませんて」 やんわりと断っているのだが、 「いやいや、だって俺の半分しか飲んでないぞ」 「ていうかチューハイなんてジュースみたいなもんだろ。飲んだ内に入らないって」 「さて、コールしますか」 …日頃は別に悪い人たちではないのだ。 けれど、酒が一滴でも入ると途端にこのざまなのである。 (そんなに弱いなら飲まんかったらええのに) と思うぐらいは許されるべきだ。 ちらりと隣を確認すると、何食わぬ顔で先輩の「勝負」を受ける姿。 (あれ、先生はそういうの絶対断る方やと思てたのに) なんとなく断りづらい空気を感じつつ、ええい儘よ、と面倒臭い先輩の勝負を買った——— というのが、この惨状の原因であり遠因であり諸悪の根源に他ならない。 酒で溶けてる頭で思い出せる限界ぎりぎりまで遡っているので、多分、合ってる。 …と、思う。 熱さをどうにかしたくて額に手をやっても、ちっとも冷たくはなかった。 【酒焼け宴】 「飲めないなら飲まなければ良いのに」 心底蔑むような目で、しかも吐き捨てるように言われた。 刺さる。 熱っぽくてガンガンと割れそうな頭をそれでも抱えたくなるぐらい刺さった。 「…ある程度までは…飲めるんです」 そう。ある程度までは。 全くの下戸なのに無理して飲もうとする坊と、それを制止しつつ自分は蟒蛇のように日本酒を飲む子猫さんに挟まれ、 中途半端に飲めるけどザルとか枠とかああいう人種ではない俺。 女の子に『えー志摩君飲めないのぉ?』と言われるのが嫌でそれなりには飲むが、酒が無くては生きていけないと思ったことは無い。 酒というのはあくまでも嗜好品であって、飲む自由があるなら飲まない自由も有るわけで。 因みに、坊が『…飲みに行くか』なんて言おうものならそれはもう全力で止める側である。 ついでに『飲めないなら飲まなくてもええんですよ』と言うのも俺の仕事である。 子猫さんに言われたのでは流石にぐっさり来るかなぁという配慮でいつも俺がそれとなく言う役目を負っているのだ。 『お前に言われんでも大丈夫や』と言う割にコップ一杯のビールであっさりと潰れてしまう坊を二人して『やれやれ』と見守るのまでがワンセットで。 その自分が、まさか潰される日が来るとは思ってなかった。 「ある程度ですか、これが」 机の上に並べられたジョッキとグラスと杯。これを一人で飲んだ、とすると我ながら頭がおかしいのではないかと思う。 「…いえ、ちょっと度が過ぎてましたわ」 意識は割とはっきりしている方だとは思うが (自分に勝負を吹っ掛けてきた先輩があっちで上半身裸になっていることを加味すれば)、 指先を動かすことすら億劫なのでやっぱり駄目かもしれない。 「起き上がれるようになるまで時間が掛かりそうですね」 そう言いながら先生は涼しい顔で自分のコップを傾けた。 あの中には確か日本酒が入っている。子猫さんに聞けば銘柄からきちんと分かるのだろうが、俺にとってはどれも同じ味にしか思えない。 単に、舌の痺れる水。 「…ええ、ほんま、あつくて仕方ないんです…」 シャツのボタンを開けようにも指が上手く動かない。重症だ。 「せんせ、悪いんですけど———」 「悪いと思ってるなら頼まないで下さい」 にべもない。 「そこを何とか…ていうか先生、用事も聞かんと断るなん、て…いったたた…」 喋りすぎると頭に響く。寺の鐘を頭の内側でガンガン鳴らされているようなものだ。 どうでも良い話だが、あの中に人を入れて鐘を突くと失神するらしい。音が凄まじすぎて。 「前置き付きの頼み事なんてどうせろくな頼み事じゃないことぐらい最初から分かってます」 …きっと。きっとこの人も酒が入ってるから、いつもより言葉に棘があるように感じるのだ。 日頃の穏やかな口調はつまり、割と無理した結果なのだろう。 畏れ多くも酒の神の前で無理の面は付けられない、と。 「…ちょっと、シャツのボタン開けてくれはらへんかなぁて…」 そのくらい自分で出来るだろうが、と、無言のプレッシャーが掛かる。 「指に力が入らんのですよ…ほんまに情けないんですけど…」 見せるように指を動かしてみる。やわやわとしか動かない手を見る先生の目は本当に冷たい。 ああ多分この人酔ったこととかないんやろうなぁ、と一見して分かる態度だ。 「そんな状態になるまで飲むなんてちょっと信じられませんね」 呆れた、とばかりに溜息を吐いてコップを机に置いた。 …そやけど先生。 飲んでる量は俺の方が明らかに多いですけど、摂取アルコール量は先生の方が多い気がするんですが、どうなんですか。 「幾つ外せば良いんですか? まさか脱ぐ訳じゃないでしょう」 極めて事務的な言い様だ。 「そら流石に脱ぐまでは…」 先輩達の荒れ狂う様子を横目にそう言う。ついに最年長の団員が一発ギャグをはじめた。これは…色んな意味できついわ…。 「じゃあ二つぐらいで良いですね」 それで良いのかよく分からなくて曖昧にああ、とかええ、とか言っている内に手が伸びてきた。 全く迷い無く首元に指先が留まる。 俺は起き上がれずに伸びているので、覗き込んでくる先生の影がおちる。 (あれ…ちょっと待てよ…これ…) 布と皮膚の擦れる音が耳の中に響く。面倒臭そうにのろのろと動かされる指先。 やっと一つを開け終わっただけで、不愉快そうに溜息を吐く。それが、妙に、 (うわぁ…うわぁぁぁ…やば…どきどきしてきた) ばれないように、意識的にゆっくりと息を吐く。二つ目のボタンが開く。 「う、あの、せんせ」 「…赤いですよ」 開けたシャツの襟元を寛げると、何の躊躇いもない様子で指先が肌に触れる。 「そ、そら…酒が回ってるんで…」 さっきまでコップに触っていた指は、ぎくりとするほど冷たい。 「…そうですか」 すっと何事も無かったかのように身を引き、そのまま先生は立ち上がってどこかへ行った。 倒れていると視界が狭く、すぐに人の姿が見えなくなるのだ。 それにしても。 「…ばれたかと思た…」 本人が居ないのを良い事に口を滑らせる。でも適度に言わないと、爆発するかも知れない。 さっきひたりと触られたところが疼いて仕方ない。痒い、というよりも、ずきずきとする。 先生は時々、本当に不用意に、何の気なしにああいう事をするから質が悪い。 そしてその原因が、彼にスキンシップを教えた張本人であるところの兄上が実に明快な理由で (だって無性に触りたくなる時ってねぇか? ———じゃないだろう全く) ほいほいと弟に触るからだ、という事にこの十年の間に気付き、笑えば良いのか泣けばいいのか歯軋りすれば良いのか訳が分からない。 自分の兄弟が特別距離を開けて生活している、とかではない。あれはどう見てもあの兄弟の距離感がおかしいのだ。 普通に考えて。 (だってあんな触り方…普通…せぇへんよなぁ…) 思い出し笑いならぬ思い出し赤面である。 本当は、酒の回った頭でもよく分かっている。 あの人は俺に微塵も興味が無いからこそ、あんな触り方を平気で出来るんだろう。 俺がそういう目で見ているということを知らないのか、別段知っていたからと言ってどうとも思わないだけなのかはわからない。 けれど、される方は堪った物ではないのだ。 「まぁ…中途半端に酔うよりはかえって潰されてしもた方が楽やったんかもな」 不用意に、手を伸ばさずに済むのだ。物理的に動かせないから。 「おーおー志摩選手完全に潰れてますなぁ!」 さっき潰した張本人が堂々の帰還である。 斜向かいのお姉様と一瞬目があったので無言で助けを求めてみたが、『そうよ、どうせあたしが全部悪いのよ…!』とか何とか言いながら泣き崩れただけである。 なんやお姉さん泣き上戸かいな。 「お陰様で、火照ってしゃあないですわ。これ以上は飲めませんからね、流石に」 遠回しに断る。酔っ払いに『遠回し』というものが通用するのかどうかは解らないが、酔っているとは言え先輩は先輩だ。 ここで妙な事を言えば素面での人間関係に亀裂が入る。 「そりゃ、流石に俺でもわかってるって。な!」 はっきりと言葉にしてしまうなら 「鬱陶しい」 「面倒臭い」 「さっさと寝ろよ酔っ払い」 ぐらいには思っているのだが、それを言ってはお仕舞いだ。 「じゃあ何です?」 いきなりの襲来の意図が読めずにどう追い返したものかとばかり考えていたのだが、 「やー、奥村どうした?」 今一番聞きたくない名前が出た。危うく顔に出るところやったやないですか。と、半分睨むようにして目を合わせる。 「せんせ…奥村さんなら今席を外してはるけど」 奥村さん、という慣れない響きに舌が縺れた。 「なんだつまんねぇな。志摩選手が再起不能だから次はあいつと飲み比べでもしようかと思ったのに」 そして酔っ払いは実に正直である。やりたいことを、やりたいようにやるのが酔っ払いというものだ。 つまり、斜め前でまだめそめそしているお姉様も普段からめそめそしたくて仕方なかった、いうことなのだ。 で、目下一番の悩みの種であるこの暴君は他人を潰すことに快感を見出すタイプの、質の悪い人間だったという話なのである。 「暫く帰って来はらへんのとちゃいますか? ここ空気悪いですから」 ———どうしてそんなことを言ってしまったのか、と一瞬後に冷静になった俺は考える。 暴君に相手に一体何を言ってるんや俺は。 「はぁ? どういう意味だよ、志摩」 案の定明らかに『キレた』風な相手にぎろりと睨み返される。 『ああ、いや、他意はないんですよ。単に換気が悪いとかそういう意味で』 酔ってない自分ならばそのぐらいのフォローは出来ただろう。事実酔った今でもそれを考える程度の余裕ならあったのだ。 ただ、あったからといってやるかと言われるとそれは別問題だ。 「先輩みたいな絡み方されるんはそら奥村さんかて嫌なんとちゃいますか?」 …口に出してみて、ああそうか、俺は先生とこの面倒な先輩を引き合わせたくないだけなのか、と思い至る。 我ながら健気すぎて泣けてきた。 「………志摩、もう一回同じ事言えるか?」 急にニコニコとし始めた先輩を見ながら、ああこれはやばいかもしれない、と頭の片隅で思う。 しかし、やばいも何も、起き上がれないのだから大人しく受け入れるしかない。我ながらなんと馬鹿なことをしたものか。 「何度でも言いますよ。先輩みたいな絡み方ははっきり言って迷惑です」 さぁ殴られるか蹴られるか。 横になっているんだから、何をされても結構なダメージだ。 ああ、腹を踏んだりとかそういうやばいことをする人でなければいいが——— 「よくできました」 そう言って真上から思いっきり何か飲み物を浴びせかけられた。 「つめたっ!?」 「ちょ、誰だ!」 驚いたことに飲み物をぶちまけたのは先輩ではなかったらしい。それどころか、当人が思いっきり飲み物を被っている。 どういうことなんだ。 ———いや、嘘はあかんな。驚いたけど、驚くほどでもなかったわ。 「奥村ですが、呼びましたか?」 ジョッキを片手ににこりと笑っているのは紛れもない、先生である。 「いきなり何するんだよ…」 暴君も出鼻をくじかれたのかあまり強くは出て行かない。 「いえ、どうやら頭を冷やされた方が良いかと思いまして。手っ取り早く『処置』させて戴きました。 本来はアルコールの方が気化しやすいのですが、流石に勿体ないですからね」 笑っている。笑っていた。けれど細められた眼は確実に相手を蔑んでいた。こわい。 あの眼で見られたら多分俺なら二度と立ち直れない。 「………そうかよ」 「ええ。如何に無礼講とは言え、目上の者の前でその態度は感心しませんよ。楽しめる程度で留めて置いて下さいね」 そうだ。すっかり忘れていたが、先生には『上一級』という肩書きが付いていたのだった。 それを聞くやいなや酔いもさめたのか、さっきまでの暴君は顔を青くして席を立った。ばたばたと座敷を駆け、出て行く。 あー、あれは吐くな。多分。 見送ったままの視線をのろのろと戻す。 「せんせー…」 「…なんですか?」 どことなく不機嫌を引き摺ったままなのか、背後に何かが見える。 「………よくできました、ってことは、最初から見てたんですか」 枕にしていた座布団には完全にソフトドリンクらしい液体が滲みている。 これ大丈夫なんかなぁ…クリーニング代とか誰が出すんやろ… 「さぁ…どこが最初かはわかりませんが、途中からは」 なのに、あのぎりぎりの所まで止めに入らなかったというのか。 …最初からわかってはいたものの、先生にとってはつくづくどうでも良いんやろうなぁ、俺って。あ、やばい。泣きそう。 「先生薄情やわぁ」 酒のせいか心なしか緩くなった涙腺をなんとか締め直すのに必死である。 「俺にも半分ぐらい掛かりましたし」 そんなときでもうまく笑いを取れないかと考えているのだから、どうしようもない道化だ。 「頭が冷えて丁度いいかと」 ………ああ、うん。確かに気持ちいいぐらい冷えてますけどね。そういう事やのうて。 「俺が風邪引いたらどうするんですか」 いっそ先生のせいです責任取って下さい、とでも泣きつけば良いのだろうか。 「自業自得ですよ。酒は飲んでも飲まれるなって言うでしょう」 全く持って正論です。けど、手段を選ばなかった先生も先生やわ。 「…僕だって、腹を立てることぐらい有るんですよ」 「え?」 声が小さすぎてよく聞き取れなかったのだが、聞き直そうにもまたコップの中の日本酒とよろしくやりはじめたので、タイミングを逃す。 一発ギャグのネタも尽きたか大人しくなった上司は、畳に突っ伏すようにして寝ている。 あれは風邪を引くなぁとぼんやり思いつつ、そう言えばまだ帰ってこない元暴君のことも少し思い返す。 素面になったときが怖いなぁ、と思う反面、向こうはもっと素面になるのが怖いんじゃないだろうかと哀れにも思う。 確か、中二級の祓魔師だった。 相手が悪かったなぁ、と他人事ながらにやにやとしてしまう。 「あ、ちょっとマシになったかな…」 手を握ってみるとさっきよりはまともな握力に戻っている。 「それは良かったですね」 まだアルコールをやめるつもりのないらしい先生は平然と言う。 「…そう言えば先生、さっきどこ行ってはったんですか?」 もう当面酒も酒の席も勘弁被りたい俺は黙って眼をそらした。 「ああ…呼び出しです」 携帯を頭上に翳される。着信履歴実に十五件。…まぁ当然のことながら全部同一人物からの発信である。 「朝の内に、今日は飲み会があるから遅くなると言って出たんですけど聞いてないの一点張りで…骨が折れました」 一見すると(聞いているのだから一聴すると、か?)嫁さんでも居るのかと言いたくなる科白だが、 隠すまでもない、彼の兄からの熱烈なラブコールである。 「帰ってから夕飯も食べないといけないし、土産にアイスを買ってこい、らしいのでどこかで見繕わないといけないんですよね」 一応言っておくと、今は冬である。忘年会シーズンまっただ中。 この寒い中アイスを買って帰らねばならない先生には一応ご愁傷様と言っておくことにした。 「ほんと過保護ですよ、もう二十五なのに」 そう言って最後の一杯を勢いよく明けた後、店員の所に直接出向いて水をグラスに二杯貰ってきた。 二杯も貰うぐらいならジョッキで貰えば良いのに変なことをする。 そう思っていたら、戻って来るなり片方のコップを頬にぺたりとあててきた。 「つ、冷た!」 本日二度目だか三度目だかの冷たさである。確かに冷たいのは気持ちいいが、ここまでくると何だか遊ばれているように思えて仕方ない。 「アルコールは加水分解ですから。手っ取り早く酔いを覚ますには水分を取った方が良いですよ」 頬を冷やしたコップを机の上に置き、自分の方はぐっと煽って一気に明ける。 「では、お先に失礼します」 俺と、あとさっきから斜向かいでひたすら笑い倒しているお姉様に向かって軽く頭を下げる。 ていうかお姉さん、泣き上戸からの笑い上戸ってほんまにめんどくさいな。 「え、先生そんな、この死屍累々の戦場に一人置いていかんで下さいよ!」 「すみません、志摩君。大変心苦しいですが、僕も指定の刻限までに帰らないと何が有るかわかったものではないので」 嘘や! 心苦しいとか、そんな顔やないですよそれ! 「それではまた後日」 それ以降、まるで『振り向いたら知恵が逃げる』と言い含められているかのように全く振り向かずに立ち去った。 実に鮮やかである。 「………法輪寺にしては、ちょっと酷い廃れ具合やけども」 という、俺の呟きにすら大爆笑する斜向かいのお姉様に、思わず溜息を零した。これがきっかけでぬるぬると二五歳パラレルが出来ていったので或る意味記念すべき一本目 2011/12/05(04/29格納)