※ぜんぶぜんぶおくむらのせいなんだからね。








「ほら、起きなよ兄さん」
 擽るような声が聞こえる。
 ふわふわとした眠りの底に差し込まれる少しだけひやりとした異物。
「お前が愛してるって言ってくれるなら起きる」
 目が開かないので声だけが頼りだ。布団から放り出した腕が少し寒い。手を延べて雪男を捜す。
「仕方ないなぁ。愛してる愛してる愛してる」
 何で三回言ったんだよ。回数じゃねぇよ。寧ろ一回心を込めて言ってくれた方が余程有り難いだろうが。
「安過ぎんだろ」
 薄目を開けてなんとか見つけた雪男の頬をぺちりと叩いた。
「馬鹿言ってる暇があるなら普通に起きなよ」
 お返しにデコピンを喰らった。このやろう。それ結構痛い。
「へいへい……」
 諦めて寝床から這い出し、ベッドの縁に腰掛けた。
「なぁに、その腕は」
「ぎゅってしてくれ」
「……良い年こいて恥ずかしくないの、それ」
「全然? そういう愛情表現だからな」
 余計問題だよ、という雪男の声をやり過ごしつつ、視線で催促する。
「信じられないよ」
 そう言いながらも雪男は大人しく俺を抱き締めた。
 間近になった耳許にちゅっと音を立ててキスをしたら例によって背中を強く殴られた。グーで。
「いてぇよ」
「馬鹿な事するからでしょ。ほんとにもう」
 間近で見た顔はほんの少し赤くて、それだけで全部ちゃらにしてやって良いと思った。
 珍しくストレートに可愛いな、お前。
「キスしてぇな。駄目?」
「何。今日はそういう気分なの?」
 そうだな。多分、そうだ。そういう気分。簡単に言うとお前とイチャイチャしたい。
「僕はやだよ。今日は本でも読もうって思ってるんだから」
 まだ読んでない本が山ほど有るんだよ。
 そう言いながら覗き込んでくる目が少しだけ期待しているのはお兄ちゃんにはお見通しなんだぞ。
「一日ぐらい良いだろ」
「なんで」
 ほら見ろ。『嫌だ』じゃなくて『なんで』だったろ。理由によっては譲歩してやっても良いよ、って顔だ。
「だって考えてもみろよ。あと何万日こうやって過ごすんだよ。一日無駄にしたって、本ぐらいいつでも読めるだろ」
「それ、何年前から言ってるの。最近の流行?」
 言葉の割に、目が笑っている。
「俺はいつでも新鮮な気分で言ってる」
「記憶力に難ありだね」
「お前がおかしいの。普通そんなに覚えてられねぇよ」
 断じて、俺が特別馬鹿だからって訳じゃ無い。だってさ、


———百五十年分の言葉なんてきちんと覚えてられるかよ。




【ドロップアウターズアクト】

 イチャイチャしたいとは言ったが、具体的に今日はどうしようかと考えていたら、 『じゃあ取り敢えず朝ご飯でも一緒に作れば良いの?』 と提案されてしまった。一緒に飯の用意か……それは確かにイチャイチャしてるっぽいな。実にテンプレート。良い感じじゃないか。 『正直お腹すいちゃったんだよね』  ちょっと甘えるように言われたので即決。  なんだお前随分よく解ってるじゃねぇか。 「なぁ雪男、塩取って」  ベーコンエッグ。トーストに載せて食べようという算段である。 「振ろうか? あと胡椒」 「ん、頼むわ」  手際よく振っていく。塩の次が、胡椒。卵が丁度良い位の色になってきた。 「トーストの方は?」 「うん、そろそろ出来るんじゃないかな」    チン、と音がして勢いよくトーストが二枚飛び出した。  雪男め、俺の知らないうちに魔法使いにでもなったのか。 「単に時間をなんとなくはかってただけだよ」  それぞれ皿に取るとコンロの側に持ってきた。 「直接載せちゃおう。洗うお皿少ない方が良いだろ?」  案外面倒くさがりの弟である。 「お前が良いならそれで良いけど……」  フライ返しで掬ってうまくトーストの上に乗せる。面積ギリギリ。所謂職人芸って奴だ。褒めてくれて良いぞ。 「いつもながら上手いね、兄さん」  ………褒められた。  あれだ。褒めて良いとか言った癖にいざ褒められるとなんかすげぇくすぐったいな。 「そ、そうか?」  ぶんぶんと尻尾が揺れるのが解る。フライパンとフライ返しで両手が塞がっているので止めようがない。 「うん、『よくできました』って感じだね」  桜の外枠の中にひらがなで書かれている、あの判子のような…… 「って先生かよ!」 「元、ね」  乗せ終わった皿を食卓に運ぶ後ろ姿に一瞬、凄まじい罪悪感を覚えた。 「で、仕事やめたあとも一番最初の生徒とずっと同居してる駄目な講師だよ。『教師は聖職』らしいんだけど、講師はそういう訳に行かなかったみたいだね」  他人事みたいに笑い話にする。それが少し辛い。 「祓魔師みたいなごりごりの聖職者の癖に何言ってるんだよ」 「あれ、奥村燐君は僕にとってただの生徒なんですか?」  突っ込むところが違うでしょ、とおかしそうに言う。 「ちげぇよ。お前の兄ちゃんだっつーの」  けどそういう所じゃなくてほら、なんつーかさぁ… 「言われて突っ込むようじゃまだまだだね」 「うっせぇ。お前の分卵抜きにすんぞ」  ただのベーコンとトーストにしてやる。 「え、やだよ。僕の方がお腹すいてるんだから」  自分の皿を守るように手を翳した。その指先は少しだけ、鋭い。 「……牛乳飲むか?」 「ん? ああ、うん。注いでくれるの?」 「そのくらいのサービスはするっつーの」 「安いなぁ。イチャイチャしてる体なのにそれだけしかサーヴィスないんだ」  からからと笑う。  きっと人間だった頃より格段に笑うようになってる。  雪男曰く。 『悪魔になったんじゃなくて、最初から悪魔だった、ってのが正しいんだってさ』とのことらしい。  検査で陰性が出続けている、と言っていたが、『覚醒前なので陽性になるわけがない』というのをあのクソ理事が隠していただけの話だったのだ。 『炎を嗣いだのはあなただけだと言いましたが、何も奥村先生が悪魔でないとは一言も言ってませんよ?』  ぬけぬけとよく言ったものである。 『それに、炎というよりは水の扱いに優れるので、良い火消しになるじゃないですか』  本気で灰にしてやろうかと考えた瞬間である。 『まぁ、兄さんの面倒みないといけないし、丁度良かったんじゃないの?』  本当にあっけらかんと言われたので俺の方が宙ぶらりんになってしまったぐらいだ。 『丁度って……お前……』 『別に兄さんのせいじゃないよ』  そうは言ったが、もし俺が十五歳の時に剣を抜いていなければ、雪男だって人のつもりで生きられたんじゃないのか。 『でも、抜かなきゃ死んでたんでしょ? じゃあ抜いて良かったんだよ』 『なんで』 『だって、兄さんが居なくなってたら』  ———僕は一年だってまともに生きてないよ。  百年以上前の話なのに、はっきりと覚えている。  雪男は俺の記憶力を笑ったが、雪男だって同じだ。  そんな大事なことを『言った覚えが無い』なんて言いやがる——— 「いい加減待ちくたびれたんだけど」  そう言って肩越しに覗き込んできたので、危うく牛乳パックを落とすところだった。 「なぁに、ぼけたの? 突っ込み待ちだった? ごめんね、気付かなくて」 「そういうんじゃ、ねぇけど」 「わかった。何か有るなら後で聞くから、取り敢えずご飯食べよう? ね?」  イチャイチャする、というのをどういう風に解釈したんだか知らないが、どことなく甘えた様子である。 「……わかった」  ささっと牛乳を注ぎ、冷蔵庫にパックを戻す。 「手早くできるなら最初からそうしてれば良かったのに」  向かい側に腰掛けると雪男はおかしそうに言った。何も牛乳を入れることそのものに手間取っていた訳じゃ無い。 「ちょっと考え事してたんだよ」 「ああ、そう?」 「そー。まぁいいや。食おうぜ」  トーストに手を伸ばす。 「いただきます」  雪男は未だに律儀に十字を切ってから手を付ける。  悪魔なのに? と言うと、 『僕だって兄さんと一緒。途中まで人間だと思って育ったから』 と少し難しい顔をした。柔らかくて、痛い顔だ。 「……む。兄さん、黄身、垂れてるよ」  指摘されて手元を見ると完全に皿にぼたぼたと落ちている。 「うぇ!? おわぁ!」  慌てて黄身を啜った。 「さっきから何を呆けてるんだか」  同じ物を食べているはずなのに妙に優雅に食べる。 卵の白身の固まりきらない部分を食べ、パンを折るようにして中身が零れないように持つ。もぐもぐと口を動かして、飲み込む。 喉の動きであ、飲み込んだのか、とすぐにわかった。 「………だからさぁ、見られてると食べにくいんだって」 「ん、あ、ああ……わりぃ……」  手元のトーストをさっさと食べきってしまわないと。  さくさくとしたトーストに黄身が染みこんでなんだかすこしべったりしている。ぼんやりしていたからか。  俺と違って淡々と食べていた雪男はもう食べ終わって、牛乳を半分飲んだ所だ。 「今日のこれからの予定だけど」 「おう」  あと三口ぐらいかな。 「イチャイチャって、どうするの? 家で過ごすの? それともデートでもする?」  ぴしりと固まった。正にパンを頬張ろうとしたところで身体が完全に静止。 「デート……?」  錆びたアームを動かすようにぎこちない動きで首を前に向けた。 「そう、デート。イチャイチャしたいんでしょ? 良いよ、それでも」  言った本人より遙かにアグレッシブだ。正直予想外だった。良い方に。 「ってことは一緒に映画見たり手を繋いだりクレープ食べたりキスしたり出来んの?」 「兄さんがしたいなら、良いよ」  良いんだ。………良いんだ……!? 「じゃあベンチで膝枕したりちょっといいとこで昼ご飯食べたり水族館行ったり夜景の綺麗なとこでキスしたりは?」 「そんなにキスしたいの」  したいに決まってるだろ、馬鹿野郎。したくない奴とかちょっと考えられねぇわ。 「外で、したいの? やらしいなぁ」  今の言い方の方が千倍ぐらいやらしかったんだけどそこについてはどう思う。 「駄目か」 「ううん。ただ思いの外正直でちょっと面白かっただけ」  こいつ年々質が悪くなってる気がするなぁ……と、多分百年以上ずっと思っている。 「じゃあ待ち合わせの場所と時間、決めようか」  不思議な単語が飛び出した。 「待ち合わせ……?」 「だってデートなんでしょ?」  その首の傾げ方、ずっと思ってたけど、あざとい。好きだけど。 「そりゃデートだけど。同じ家に住んでるのに?」  待ち合わせも何も、一緒に出りゃ良いじゃねぇか。 「待ち合わせとか久しくしてないんだから、偶には良いんじゃない? どっちが早く着くかとか、さ」  妙に口調が弾んでいる。あ、まさかこいつ。 「……デートごっこのつもりだろ、お前」 「違った?」  やっぱりか。なんか変にノリが良いと思ったら。 「遊びじゃねぇぞ。本気で言ってるんだからな」 「僕とキスしたいって?」  ———くっ……こいつ……引っ張ってきやがった。 「そー。それも本気。デートだって大マジなんだぞ」 「でも本気でデートだったらやっぱり待ち合わせした方が良いんじゃないかな」 「まだ言うか」 「だって、待ってる間、どきどきしない?」  ———その一言が決定打になって、結局待ち合わせてデートする事になった。安い。俺って安い。  待ち合わせは十一時丁度に駅前の噴水前。 『どこに行くかは兄さんが決めてくれて良いよ。知らされてない方が楽しみだから』 だとか何とか宣って、早めに雪男は家を出た。  待ち合わせ時間まで本屋で時間を潰すらしい。結局本は読むのかよ、と居ない雪男に突っ込むぐらい許して欲しい。  服を選びつつどこに行こうかざっと行き先を考えてみたが、夕飯で詰まる。 あいつ魚食べたいかなぁとか思って夕飯を魚料理にすると明らかに水族館はアウトだ。 じゃあフレンチとかそういうのか、とも思いつつ男二人でフレンチってのもどうなんだろう。空しい気がする。 中華……中華にしようか。でもデートで中華って、どうなんだ。中華って大人数で食べるものなんじゃないのか。 ほら、沢山の皿があって、それぞれ好きなのを取る、みたいなさぁ。 「丸投げって………困るんだよなぁ……」  そしてもっと大事な問題は、夕飯を何にするかによって着ていく服を変える必要がある、ということだ。 「あー、あーーー! 三十年ぐらいぶりに悩んでるかもしれねぇ、俺!」  雪男の奴め、今頃本とイチャイチャしてるんだろうな。  あーちくしょう、なんかすげぇむかついてきた。で、夕飯どうすっかな。 「や、待てよ。それより先に待ち合わせ十一時ってことは……昼飯が……」  ———完璧に詰んだ。  ええいめんどくさい。コースなんて決めなくたって行き当たりばったりで何とかなるだろ。  雪男が選んでくれた上着を羽織って、財布とパスと端末を持って、さぁ、あとはどうとでもなれ!  勢いよく部屋のドアを閉めた。  無論、その後ではっと気付いて戻り、鍵を掛けたのはご愛敬という奴である。
夜中の三時か四時ぐらいにぐわっとなって提出が朝の八時とかそういう。
とにかく死ねたが苦手でそれに対する反骨精神の結果でした笑
2012/01/27(07/15格納)