※ネタバレのようなネタバレでもないような。
※※考え過ぎて最早考えていないような境地。これが無我なのか……!? 的な。








ひたりひたりひたり、
跫音が聞こえる、聞こえる、
夜毎地獄が耳許で囁く、
喘ぐ肺には熱気、閉じた瞼には閃光、


悪夢はいつでもはっきりとした爪痕を残していく。
この首に、この腑に、心臓に。
徒に引き裂いて楽しんでいるのだ。


炎を持たないこの身を、誰も彼もが焼き尽くそうとする。
そんなにも僕の爆ぜる音は心地良いか、悪魔どもめ———




【夢魘地獄】





熱い。
辺りは冬の雨のにおいとそれを掻き消すような腐臭に満ちている。
———本当は寒いはずだ。
どうしてだか、確信があった。寒いはずだ。『寒かった』はずだ。

それでも膚は焼け付く熱気を厭う。

「やぁ、待ちわびたよ」
幾たび聞いた声か。
目には瞼があるが、耳は両手を使わなくては塞ぐ事が出来ない。
両手は既に銃に埋まっているので声はいつでも素通りする。
そのまま脳をくぐらせずに放り出してしまえれば良い。

「それは随分とつれないじゃあないか」
初めて見るはずなのに見慣れた造形の悪魔だ。
見ているだけで反吐が出そうになる。
見たくないものは見なければいい。
目を閉じてしまえば何も見えなくなる。

しかし悪魔を前にそれは自殺行為だ。

悪魔は耳の生き物で、舌の生き物である。
聴覚に集中したら最後、悪意を脳に直接滑りこませることになる。
不愉快な視界を遮断せずにおく理由を、明確に、持っている。鼻を突く腐臭も今は有り難い。

「ふふ、何せ十年単位で久しぶりのデートなのだから、そう怖い顔をしないでほしい物だ」
あれ、下手をすると人生ではじめてかもしれないな。

癇に障る声がべろりと鼓膜を舐める。
不愉快極まりない感触。
高温多湿の空気が肺を満たす。重量のある空気。胃の中に詰められる鉄塊。

「君に会うための孤独だったのなら、それもまた宿命だったのだろうね。会えて嬉しいよ、本当に」

ずだん。
引鉄を引く。
額ど真ん中を撃ち抜く。

「あーあ、酷いな。そう邪険にするものじゃないよ」

ぼとぼとと中身を零しながら、その端から灰はもとの形へと復元を始める。
際限のない、自己修復。
何度殺しても生まれ変わる。再生する。不死鳥。火の鳥。
無限の象徴、未来の希望。
笑わせるな。際限のない物に光などあるものか。

「まるで痴話喧嘩でもしているように見えるだろう。我々ほど似合いの相手もそうそう居ないのだから、そんな事をしてはいけないよ。はしたないじゃないか」

まぁ気の強いのは可愛げだと思う事にしようか。
悪魔は下卑た笑いを浮かべた。

「失せろ」

ずだん。
二発目を心臓に当てる。
綺麗に的を撃ち抜き、シルバーの貫通した穴の向こうが見えた。
ただの雨模様だ。灰色。雨の森。

「おやおや、開口一番失せろとは穏やかじゃないな」

安心しろ、それ以上に口を開くつもりもない。
こんな意味のないやりとりを続けてどうする。

「見た目の割に随分とお行儀が良くないようだね。これではまるでじゃじゃ馬ならしだ」

仕舞っていた右手の一挺をホルスターから引き抜き、左右の銃口から合わせて六発、全て腹部に命中させる。
そのまま踵を返して走る。

雨でぬかるんだ地面が煩わしい。
足首を掴んで引き摺り落とそうとする。
泥が跳ねる、雨水が滲みる。
逃げても逃げても景色は殆ど変わらず、森はいつまでも森に過ぎなかった。
果てのない森などない。
とすればこれは何だ。

「逃げられる訳がないだろう。これは君の意志なのだから」

曇天が圧力を伴って大地を圧迫する。
不釣り合いな熱。

「まぁ待つと良い。無意味な疲労は為にならない」
「お前の存在が疲労の元だ。無意味だと言うならすぐさま消えろ」

即座に首が絞まる。
そのまま地面に引き倒された。
ばしゃりと泥水が撥ねて眼鏡が曇る。

「そんな事を言うなら、君の世界には何一つ残らないよ。疲労を引き起こさないものなんてこの世界には存在しない」
ああそうだな。自分さえ要らない。何も要らない。全て焼き払いたい。
「また君はそうやって自分を否定して強くなれると思っている」
そんなのは幻想だよ、そうだろう。
にたりと笑った口だけがはっきり見える。
「黙れ」
息が詰まって目眩がしてきた。
しかし目を閉じたら駄目だ。
閉じてしまったら、負けだ。

「決して君を貶めようというのではないよ。ただね、本当の君を愛してやりなさいと言っているだけじゃあないか。
自己否定は何も生まない。何も得られない。先ずは自分を愛するところから始めなくては」

愛するだと、ふざけるな。
一体何を愛せと言うんだ。
虚の詰まった硝子匣の、どこを、愛せと。

「嘘は良くないよ。君に満ちているのは虚じゃない。毒だ」
「はっ。益々愛するに値しないな」

気道を強く圧迫される。
頸の骨を折られたかと思うほどに、強く。

「私と君は同じだよ。日陰の毒に満ちた、劣等感の入れ物だ。大きすぎる陽の影にいつも覆われた腐食の毒だ、そうだろう。だって君は私だ。私が君そのものだ」
「お前とは違う。期待という言葉の意味すらも知らないお前とは!」
力を振り絞って腹部に蹴りを入れる。
「おや、じゃあ君は期待とは何か説明できるのかな」
唇に吐息の触れる距離まで悪魔は擦り寄った。

「期待されたことの一度も無い哀れな私に講釈して下さると」

期待とは呪いだ。
努力を強い、成果を要求する為の正当性を担保する幻だ。
蜃気楼の為に全てを犠牲にさせるシステムだ。

「期待なんて、お前の思うような良い物でないことだけは確かだゲス野郎」

爪の伸びた指が口をこじ開けて舌を摘んだ。

「———口は慎んだほうが良い。折角可愛い顔をしているのだから」

鋭い爪が舌の中心に食い込む。
きっと血が出たのだ。鉄の味が滲みる。

「教わらなかったのかな、愛される為にはどうすべきか。いや、賢しい君のことだきちんとそのぐらい識っているのだろう?」

下らない。
愛される為にはどうすべきか、だって?
簡単だ。

『何もしてはいけない』

何かをして、その見返りに愛して貰おうとするのなら、それは永久に「行為の対価」に過ぎない。
走り続けて、もがき続けて、そうしなければ得られない物は、究極得ていないに等しいのだ。

「どうしたんだい、笑うような面白い話をしたかな」

悪魔の左肘に銃口を付けて接射。
舌を摘んでいた指の力が弱まった瞬間に歯で勢い任せに噛む。
皮膚とその下の筋肉を噛み切るつもりで。

「なにをする」

悪魔の喉笛に銃口をあてがい、瞬きの間に撃ち抜く。
黙れと言っても黙らないのなら、黙らせる他無いだろう。それだけだ。

降りかかる血が焼けるように熱く、触れた端から乾き、灰になる。

その感触の気持ち悪さが許せなくて、
早々に『切り上げ』たくて、

銃口を自分の心臓に当て、引鉄を引いた。





/





「雪男、大丈夫か」

 青い顔の兄が覗き込んでいた。
「珍しいね、僕より早く起きるなんて」
 声がどこか寝起きの掠れを伴う。
「そりゃ起きるっつーんだよ。お前どんだけうなされてたか覚えてねぇのか」
 手がぺたりと額に触れた。いつもなら熱さを感じる手が、今はとても冷たくて気持ちが良い。
「………おぼえてない」
「………じゃあ、良いけど」
 汗に貼り付いた前髪を指先が丁寧に退ける。昔、まだ身体の弱かった頃によくしてくれたように。
「にいさん、」
 左手を伸ばして手の甲で頬を撫でた。
「魘されてたって知ってたなら起こしてくれたらよかったのに」
 もっと早く、悪夢から抜け出すことだって出来たろうに。

「怖いなら、ちゃんと呼べよ」

 その目は酷く綺麗な青色をしていた。

「にい……さん……?」
「俺が必要なら、きちんと、俺のこと呼べよ」
 夢の中でも、どこでも。

 全てを焼き尽くす青。

「呼ばなきゃ助けてくれないんだね。ひどいな、兄さんは」

 ああ、違うか。
 助けるのではなくて、焦がす手段が変わるだけか。
 誰も彼も、僕を助けてはくれないのだ。

「お前が選んでくれるなら、それで」





 永久に燃え続けるか、永久を断つ為に燃えるか。
 何れにせよ、夢魘は僕を灰にする。







丁度本誌で雪男ちゃんが藤堂に公開レイープされてた頃のあれですね
これもまたすさまじい情熱で書いた覚えが。笑
2012/02/04(07/15格納)