飛び抜けていると言うことはつまり、晒し者になると言うことだ。

自分の短い人生の中でも、そんな事ぐらいすぐに分かった。
飛び抜けて出来る、というのは多かれ少なかれ人に不快感を与える。
出来が悪すぎるのと同じかそれ以上に嫌われる。
気持ち悪がられる。
距離を置かれる。

『こどものくせに』と冷たい目で言われる。
けれど、そのくらいどうという事ではなかった。

兄に比べれば、大した問題ではないのだ。

周りの人が全て知っている訳ではないし、今のところは大丈夫だと思う。いや、思いたい。
希望的観測だ。自分の中では本当に珍しいぐらいのポジティヴさ。
———要するに、現実を見たくないだけなのだ。

それはポジティヴなのではなくて、単なる現実逃避であり思考停止だ。
疲労物質が溜まると良くない。回路の動作が悪くなる。立ち止まっている暇なんてどこにも無いのに。

兄は何れ世界の全てに嫌われる宿命を負っている。

それがいつになるのかは分からない。
もしかするともっともっと先の話かもしれない。
でもすぐ明日の話だったらどうしよう。

僕はそんな風に不確定な未来の為に備えなくてはいけないのだ。急いでも急ぎ足りないぐらい時間が無い。
嫌われようが疎まれようが知ったことか。一日でも早く実力を付けなくてはならないのだから。


乾いた子供

「雪男、疲れてるときは疲れてるってちゃんと言うんだぞ?」 本当に久しぶりに、熱を出した。 暫く倒れるような事なんて無かったのに。 それもこんな夏でも冬でもない中途半端な時期に熱を出して寝込むなんて何年ぶりだろう。 「いつぶりだろうなぁ…こうして水枕出してやるのは」 神父さん、心配かけてごめんね。けど、「疲れてる」と思った事なんて一度もなかったんだ。 確かに疲れてない訳がなかった。 体が元々強くなかったのに寝る間を惜しんで勉強すれば当然疲れは溜まってくる筈なのだ。 頭では分かっている。適度に休みを取らないと効率が落ちる。そのぐらい、知っている。 けれど 心が 着いてこない。 走れ、駆けろと強迫的に自分を前に押し出そうとする心に、勝てないんだ。 「今度からは心配かけないように気をつけるね、神父さん」 次に疲れが溜まってきたら、倒れる前に自分で気付かなくてはいけない。 二度も同じ事をするのは学習能力の無い証拠だから。 「…雪男」 自分を愛してやれないのは、辛いだろう。 その言葉の意味が分からなくて戸惑った。 「神父さん…?」 神父さんの手はとても暖かくて大好きだったけれど、何故だろう、今はとても怖かった。 「じじー、雪男は大丈夫なのかよ」 兄の声が聞こえる。 「ああ、今ちゃんと寝かしてるからな。あとじじいって言うな」 眼鏡もない、熱で心許ない視界の端にぼんやりとその姿が見える。 「雪男、お前何か食べられそうか?」 ぱたぱたと駆け寄ってくる足音。 「おい、あんまり近寄るなよ。雪男は具合が悪いんだから」 しっし、と犬を追い払うように言う。遊んでるなぁ、と熱で融けかけた頭でもわかる。 「うるせぇよ。風邪じゃないんだろ? じゃあ大丈夫じゃねぇか」 ああ、兄さん…何も知らない兄さん。 「お前じゃない、雪男に悪いって言ってるんだ」 「うぇ? あ! あー…ごめんな、雪男、うるさかったか…?」 泣き虫な僕の手を引いてくれた兄さん。ひとりぼっちな兄さん。 神父さんと僕だけが、兄さんの味方で居てあげられる。 世界中が、敵に、なっても——— 「ううん、大丈夫だよ。ねぇ兄さん。雑炊が食べたいな。卵の、入ってる奴」 「おう、任せとけ!」 自信満々にそう言った。 「うるせぇな。さっさと作ってこい」 「言われなくても作ってくるっつーの」 ばたばたと大きな音を立てて走っていった。 「随分と扱いがうまくなったなぁ…雪男」 「あつかい…?」 「そりゃこんなことを病人に言うのはどうかと思うけどな」 一旦言葉を切って濡れたタオルを額に載せてくれる。 冷たさが少し足りないけど、気持ちが良い。 「お前らはお互いに依存しすぎてる所があるな。相手のことしか見えてない」 「…そう、思う?」 置き方が悪かったのか、目に殆どかぶってしまって顔が見えない。 「ああ。少なくともお前は自分のことを蔑ろにしすぎだ。本当は自分に向けなくてはいけない愛情も何も、お前は燐にやり過ぎてる」 声だけが、優しい。 「けど、神父さん言ったよね。僕が兄さんを守れって」 すると暫く考えるような間が開いて、 「言ったな。けど、お前のことも同じだけ心配してるんだ」 耳の底に浸みるような事を言う。 痛い。傷口に消毒液を思いっきり滲ませたような痛さだ。 「だからな、雪男。もう少し、肩の力を抜いても良いんだぞ」 そう言えば泣くのは一年ぶりぐらいだろうか。 妙にずらして置かれたタオルに染みて、神父さんには見えなかったかもしれない。 或いは、見ないように、してくれたのか。 ———久々に泣いてみて、やっと、自分が少し壊れていたことに気がついた。 壊れたまま走ろうと藻掻いては、余計に罅割れが酷くなっていくような。 そんな進み方だったのだ。 「あまり一人で背負い過ぎるなよ。なんたって俺が付いてるんだ。お前がエクソシストになれるまでの間ぐらいはきちんと二人とも守ってやるさ」 「神父さん…」 「おい雪男ー! 雑炊出来たぞ。ちゃんとネギも入れてる」 軽快な足音が聞こえる。 「燐には、内緒だぞ」 少しだけタオルをずらして、ウィンクをしながら言った。 「うん、わかってる」 僕は上手くできないので目を合わせて笑うだけにしておいた。 「今食べるか? 食べるよな。よし、兄ちゃんが食べさせてやるからな!」 凄まじく、嬉しそうである。 「だからお前はどうしてそう騒がしいんだ…」 呆れたように、けれど愛情を持ってそう言う。 「ありがとう。でも自分で食べられるよ」 お盆をベッド脇のテーブルに置くとレンゲに一掬いし、 「無理すんなって。ほら、冷ましてやるから」 とか何とか言いながら返事も聞かずに吹き始める。 「そ、それが嫌なんだってば」 基本的にドがつく世話焼き(たがり)の兄さんを止めるのはほぼ不可能だ。 「ったく…お前らはほんと…」 ほんの何年前かの話で、しかしもう遠い過去の話だ。

雪男がピークで病んでたのは多分もっと昔なんじゃ無かろうかと妄想。 神父さんが居る間は何とか引き戻してくれる人が居たけど、 今はもう誰も手を引いてくれないんじゃないかと戦慄。 2011/06/02(6/11格納)