泣くほど辛いことなんてそうそう無いだろ。
あいつはそう言って笑っていた。
喧嘩に巻き込まれても、怖い目に遭わされても、決して泣きはしなかった。

その古市を泣かせたんだ、どうやって忘れろっていうんだよ。

女嫌い

生まれてこの方、女という生き物には痛い目ばかり見てきた。 母親も姉も、俺なんかより余程おっかないと思う。 奴らは根本的に強いのだ。 魂がタフだ。 まぁ姉貴に限って言えば、肉体的にも相当タフなのだが。 あいつらは一人で生きていける。 何となく、そう感じる。 それより、 「あー…今度こそ立ち直れないかもしれん…」 ぐったりと机に突っ伏した幼馴染の方が余程雑魚い気がするのだ。 「お前いつでもそう言ってんぞ」 毎回毎回、振られては落ち込んでいる。 落ち込むぐらいなら付き合うなよ。 何度そう言っても聞かない。 大体相手の女も気に入らない。 振るぐらいなら最初から付き合うな。 振り回すだけ振り回しておいて無責任じゃないか。 「今回のは、結構堪えたんだよ…」 すげぇ綺麗な人だったんだぞ。 ばっと顔をあげ、目を細めながら言った。 「おーおー」 大丈夫だろ、お前の方が綺麗だから。 そう言わないかわりにさらさらとした髪をかき混ぜた。 その綺麗な古市君の戦績は決して良くない。 告白した段階でお断りされている事も多いが、その時は割とすっぱり諦めがつくようで、翌日にはけろっと立ち直っている。 だが、今回のように割と長く付き合った彼女に振られると、面倒くさい。 「男鹿ァ…お前は良いよなぁ、綺麗なお姉さんと同居してるんだもんなー、あー、くそー」 うちの家族とも長い付き合いなのだから良い加減姉貴がどんな奴か分かってるだろうに、そんなことを言い出す。 「あんなゴリラの何処がいいんだよ」 下校途中だというのになんでわざわざ姉貴の話なんぞせねばならんのだ。 とても不愉快な気分になる。 「馬鹿野郎、美人じゃないか」 「しらねぇよ」 自分の身内に対して綺麗だの不細工だのという感覚自体持てないのだ。 いや、大体女の顔の良し悪しなんかを言われてもよくわからない。 あるのは好みかそうでないかの問題だけだろ。 それに。 少なくとも俺は、古市の顔の方が好きなのだ。 「…つーか、そんなに見たきゃうちに来ればいいじゃねぇか」 「そうか! 分かった、行く」 即決かよ。 俺よりも姉貴の方が良いのか、と思うと今度は俺のほうが腐りたくなってきた。 とは言え、めんどくさい古市がめんどくさくない古市になるなら、そのくらいのことは我慢してやらねばならないんだろう。 がしがしとかいた自分の髪は、古市と違ってやたらと指に引っかかった。 / 「なあ、男鹿」 最後に『振られた宣言』を聞いてから随分と経った頃だ。 馬鹿みたいにうきうきとしていたり、挙動不審になったりし始めたので、ああそろそろかと思った矢先である。 「最近気になる人が居てさ」 そういう話をする相手は他に居ないのか。 俺はもう聞きたくないんだが。 「へえ、そうか。良かったな」 全然良くない。 寧ろ最悪の気分だ。 何で毎度毎度きっちり俺に報告してくるんだよ、アホ市。 「反応薄っ!」 「せいいっぱいよろこんでいるよ」 「何で棒読みなんだよ」 なんで、棒読みになった理由に気付かないんだよ。 「どうせまた別れるんだろ」 わざとぶっきらぼうに言ってみたが、 「違います−。今回のはそういうんじゃないですー」 効かない。 「めんどくせぇなあ―――」 ―――俺。 友達が他に居ないからって、ちょっと縛り過ぎかも知れない。 そんなことは分かってる。 うるさい姉貴に言われるまでもなく知ってた。 けど、分かったところでそう簡単に治せる物でもなかった。 確かに自分の人生の中には古市の居ない時だって有ったはずなのに。 そんな頃の自分を、すっかり思い出せなくなってしまっている。 「あ、ひでぇな男鹿」 どういう勘違いをしたのか、古市は軽くむくれてみせた。 小さいときから変わらない仕草が可愛くて腹が立つ。 誰か好きな人が居るときの古市は、いつもそうなのだ。 いつもよりよく笑うし、明るいし、俺にも機嫌良く振る舞う。 何かいけない物を見ているような気分になる。 どぎまぎする。 俺では無い誰かのための笑顔が、眩しくて息苦しい。 それでいて、どうせ振られて帰ってくるんだろうな、と思うと酷くむしゃくしゃする。 「俺は女なんか嫌いだ」 思わず口に出した一言は、間違いなく本心だった。 / 「だからほっとけって言ってるだろ」 あからさまに落ち込んでます、なんて顔をされたらこっちだって気になる。 「どうせ帰るんだから今帰ろうが後で帰ろうが一緒だろうが」 兎に角今のこいつを一人にしておきたくなくてそう言ったのだが、 「別に家ぐらい一人で帰れるだろ、行きだって別なんだし」 見事に突っぱねられた。 これだけ機嫌が悪いのだ、多分、前の彼女に振られたか何かしたんだろう。 それなら放っておかない方が良い。 「何、俺と一緒なのが嫌なのか」 「っ! ………違う、けど」 なんだ、今のは。 「…ほら、帰るぞ」 暫く何か言いたそうにしていたが、諦めたのか、黙って付いてきた。 表情は殆ど読み取れない。 (そらみたことか) その言葉が喉まで出かかっていたが流石に押し留めた。 落ち込んでいる相手に追い打ちを掛けるのはどうかと思ったのだ。 そこから家の直ぐ近くに辿り着くまで、気まずすぎる沈黙が続いた。 何か言おうと思ったのだが、いつもとは勝手の違う落ち込みようにどうしたものか決めかねたのである。 「あのさ、男鹿」 急に声を掛けられてどきりとした。 「な、なんだよ」 「…お前んち、行っても良い?」 「ああ」 すぐに返事をしたは良いが、全く目を合わせようとしないのが気に掛かった。 間違いなく何かを隠している。 それは分かるのに、何を隠しているのかまでは想像も付かなかった。 いつも通り格ゲーだの落ち物ゲーだの一通りやったのだが、古市はやっぱり何も喋らなかった。 その癖に、時々画面じゃなくてこちらを見ているらしい気配を漂わせる。 俺が焦れて、わざと目を合わせてやろうかと視線を動かすと、何事もなかったかのようにゲームの画面に向き直っている。 こちらが古市のことを分かってるように、古市も俺の事を分かってるのだ。 だから、隠すにはどうすればいいか、それも分かってる。 「なあ、男鹿」 五連鎖目が決まった瞬間に、古市は口を開いた。 「おう」 「俺さ………おかしいのかな」 生意気にも反撃の六連鎖を喰らわせてきた。 「何が」 折角積み上がっていた所に消えない邪魔な奴が並ぶ。 「振られたんだ―――いや、もしかしたら振ったのかもしれない」 操作を誤った。 間抜けな音が鳴って、勝敗表示画面に切り替わる。 「振った…?」 思わず古市の方に向き直った。 「ああ…自分でもさ、よく、分かってない」 もう勝負はついたのに、コントローラーを手放しもせずにテレビ画面の方を見ている。 古市が誰かを振るなどという事が想像出来ない。 そういえばあれだけ何度も振られておきながら、古市自身が振った、というのを聞いたことがなかった。 「なんで」 「………なんで、だろうなぁ………」 ぱたりと、滴が落ちた。 「いや、おい、古市…」 びっくりした。 こいつが泣く所なんてここ数年見ていなかったので、余計に驚いたのだ。 「どうしたんだ? 何が有った?」 自分でもどうかと思うぐらい慌てた調子になる。 「別に、なんでも…ないって」 ないわけねぇだろうが。 拳を、爪が食い込むほどきつく握り締めた。 ぶん殴ってでも吐かせたい気持半分と、とにかく泣き止ませるためにそっとしておいてやりたい気持半分で、頭がぐちゃぐちゃになる。 「泣くなよ古市」 男がそう簡単に泣くんじゃねえよ、とは、言えなかった。 こいつに何か言おうとするたびに別の何かがせり上がってきてうまく言えないのだ。 「泣いてねぇ、から」 顔を背けても見えてんだよ、古市。 唇を噛んだ。 何が理由だったとしても、俺にはきっとどうにもならないことなのだ。 だから古市は黙っているつもりなんだろう。 そう思ってることぐらい分かるのに、何を隠しているのかは分かりそうで分からなくて苛々する。 「だったら、泣き止めよ」 手を伸ばして少し冷たい頬に触る。 涙を指で掬うと、 「だから、泣いてねぇって…言ってんだろ」 どう見ても泣いてるのに、それでも古市は無理矢理笑ってみせた。 「…馬鹿野郎」 細かいことを考えるのは、もう限界だ。 取り敢えず、古市を泣かせた顔も知らない誰かをぶっ飛ばしてやりたくて、どうしようもなくなった。 けれど、女相手に手をあげるのはそれこそ最低だ。 行き場のない怒りが腹の底で煮えくり返る。 (ああこれだから、女なんて嫌いなんだ)

よくぼうにしょうじきにいきています。 2011/04/15