泣くほど辛いことなんて人生でそうそうあるものではないと信じている。 きっと、泣いている時間と笑っている時間を比べれば笑ってる方が多いに違いない。 だから回数とか時間とかそういう尺度ではなくて、 人生にはどうしようもなく、 不可抗力的に、 泣かされる時があるのだ。バッドラッカー
「古市君さぁ…もうあいつとつるむのやめなよ」 予想外の方向からの一撃に、俺は言葉を見失った。 「あいつ…?」 見苦しい時間稼ぎの一言を発して、何とか引き攣りかけの笑顔をコントロールしようとする。 実はもう、右頬が攣ってる気がする。 あいつが誰かなんて、訊くまでもない。 だって、俺が連んでる相手なんて、例の有り難くもない幼馴染みしか思い付かないじゃないか。 「アバレオーガ」 自分が付けたこの馬鹿げたあだ名が回り回って彼女の口から発せられる日が来るなんて、考えてもみなかった。 それがとても滑稽で、けれど、今の俺には到底笑えるような代物ではなかった。 「ああ、男鹿? 急にどうしたんですか」 目の前の彼女に好きだと言ったあの時より、遙かに緊張している。 緊張しすぎて、心臓が痛い。 次に何を言われるのかわかっているようで、でもその通りに言葉を連ねられたら不愉快だなぁ、という。 そういう瞬間は今までの十数年の人生の中で何度も経験している。 「何その言い方−。あたし心配してあげてるんだよ?」 大体あんな不良と一緒に居たら、古市君まで不良扱いされちゃうじゃない。 この人は、自分より二年長く生きている。 今から二年生きる間に、俺もこの人みたいに男鹿のことを「あんな不良」呼ばわりすることになるんだろうか。 それは何か違う。 もやっと、する。 「大丈夫ですよ。ああ見えて、あいつ結構いい奴ですから」 日頃あの男から散々な扱いしか受けていないにもかかわらず、俺は律儀にそう返しておいた。 譬え本人の居ないところであっても、一方的に悪者にしてしまうのは気が引けたのだ。 自分の中にそんな安っぽい良心が有ったとは思わなかった。 「へー、そう。何か意外だなぁ。てっきり脅されて一緒に居るものだとばかり思ってたのに」 そのときの彼女の顔をなんと形容したものか、俺には見当がつかなかった。 それだけなら、良かった。 それだけだったら忘れられた。 ささやかな「ずれ」なんてどこにでもあるもので、人間関係の中でずれを感じない方が難しい事ぐらいよく知ってる。 ちょっと我慢すればいつか慣れるだろう。 笑えるような事の方が、きっと、多いはずだからな。 けれど、人生とは中々の不良品で、自分の甘い期待なんて物はほんの数日の間に木っ端微塵にしてくれる。 / 彼女を振った。 生まれて初めてのことで、ちょっとどころでなく動揺した。 それどころか、どうやって、どんな言葉で振ったのかもはっきり思い出せない。 ささくれ立った神経が落ち着いたときにはもう取り返しの付かないことになっていて、後追いで事実を認識しただけなのだ。 振った。 振ってしまった。 自分が振られたときにはあれだけ落ち込んでいた癖に、偉そうに人様を振ってしまったのだ。 「…何やってるんだろう…俺…」 ザマァ見ろ。 そう言って男鹿に笑われること請け合いじゃないか。 「…男鹿? ああ…男鹿、か」 そうだ。 なんだかはっきりとはしないものの男鹿の話だったのは覚えている。 どうにも納得の行かない事を言われて、それで、 「そんなことで普通彼女なんかフラねぇよ…」 そんな簡単に、他人を傷付けるような真似はしない。 自分の回路から抜け落ちている情報がなんだったのかはっきりしなくて、苛立ちがぶり返す。 「はぁー、駄目だろ俺。しっかりしろ、俺。むしゃくしゃしても何の役にも立たねぇぞー」 無理矢理明るく言ってみたが、その後盛大に吐いた溜息が全てを無に返す。 「あー、やめだやめ。帰って早く寝よう、そうしよう」 自慢じゃないが、嫌なことも怖いことも全て、寝たら忘れられる。 我ながらとても単純に出来ているなぁと思うが、あの男鹿の側に居たら自然とそうなるものだ。 「いやだから、さっきから何でそんな男鹿ばっかり出てくるかな」 これが意識下から送られてくるメッセージだとか言わないだろうな。 そんなの、絶対にごめんだ。 首を左右に振り、余計な思考を払い落とす。 寝れば、きっと解決する。 解決してくれ。 そう思いながら憂鬱な帰路についた。 夕刻の風は少し肌寒いので、慌ててボタンを留めながら。 そしてまたまた俺は人生という悪徳商法に騙され、痛い目を見た。 / 目が醒めると最悪のテンションだった。 物忘れの良さだけが売りなのに、どういうことだ。 眉間を親指できつく押してみたが、何の解決にもならない。 「冗談じゃない」 それでも平日なので学校がある。 「うわー、最低だな…」 何度も溜息をしつつ用意を終え、学校に向かった。 今日は良い天気だなぁとか、なるべく馬鹿馬鹿しいことを考えながら。 そうでなくても上の空がちに聞いている授業がもうさっぱり頭に入らなくていっそ面白いぐらいだ。 そんな調子だったから、昼ご飯にしつこく誘ってくる男鹿に危うく「うるさい」と言う所だった。 仮にそれが言語化されて口から滑り出していようものなら立てなくなるまで殴られていた、どころの騒ぎじゃなかったかもしれない。 現に、何も言っていないのに 「なに、お前機嫌悪いの?」 と非常に苛立たしそうな顔をされたのだ。 「ちょっと腹減ってむしゃくしゃしてただけだよ。ほら、屋上行こうぜ」 機嫌を取るように肩をぽんぽんと叩くと怪訝そうに顔を歪めて、直ぐに興味なさそうないつも通りの顔に戻った。 これもいつも通りのことだが、男鹿の方も特に何かを言う訳でも無く、黙って教室を出て行った。 何かを言われるから付いていくとか、そういうのではない。 単に、側に居るのが当たり前なだけだ。 当たり前のように喋り、当たり前のように昼飯を食い、当たり前のようにまた教室に帰る。 完成されたサイクルなのだ。 今更変えるに変えられない。 ただ、彼女と別れた原因だぞ、と思うと今はちょっと見たくない。 だから、ほとぼりが冷めるまでは距離を取った方が良い筈だ。 俺は午後の授業時間を全て費やしてそんな風に考えていたのだ。 まぁここまで来れば分かると思うけど、人生なんて六マス連続で振り出しに戻るが書いてある双六の様なものなのだ。 俺は全ての楽観的結論を引っ繰り返されてしまうのである。 今日に限って、だ。 いつもなら「ああそうか」とか適当に流してくれるのに、やたら食い下がる。 「だからほっとけって言ってるだろ」 いい加減面倒くさくなってきてちょっと言い方が荒くなってしまった。 言ってから、ああしまったな、と思ったが口に出してしまった物は仕方ない。 「どうせ帰るんだから今帰ろうが後で帰ろうが一緒だろうが」 「別に家ぐらい一人で帰れるだろ、行きだって別なんだし」 一旦開き直るともうなんだかどうでも良くなってくる物だ。 いっそもう面白くなってきたところに、 「何、俺と一緒なのが嫌なのか」 脳震盪を起こしそうな勢いのぶっ飛びアッパー。 「っ! ………違う、けど」 駄目だ、もう考えたくない。 考えないぞ。 行き止まりだって分かってる道に突っ込んで行く馬鹿なんてどこにも居ないじゃないか。 「…ほら、帰るぞ」 何を当然のように待ってるんだよ、とか、今日は別々に帰りたい気分なんだよ、とか。 言うべき事があったはずなのだが、考えるのを止めたので結局口を開くことはなかった。 そっから何をどうしたんだったか結局男鹿の家に上がり込み、いつの間にか落ちゲーをプレイしていた。 あまりにも身体に馴染んだ動作過ぎて、思考が停止していてもその程度は出来たようだ。 ちらっと男鹿の方を見ると画面に集中しているようなしていないような微妙な感じだった。 それもそうだろう、振り返ってみても俺の行動は不審すぎたもんな。 じりじりする空気。 あ、そろそろ来るな、というタイミングで画面に視線を戻す。 頬の辺りに穴が空きそうな程の視線を感じて、申し訳なさとちょっとしたおかしさを感じた。 俺はどんだけ男鹿のこと把握してるんだ、か――― かちりと回路のスイッチが入る。 止まっていた電流が再開する。 ―――あ、自爆した。 『古市君の為にならないって言ってあげてるんだよ?』 そんなのずっと前から分かってます。 良い事なんて有るはず無いでしょう。 けど、友達付き合いって損得だけのものなんですか。 『ねぇ、一つ訊いて良い? 古市君ほんとにあたしのこと好き?』 どうして? 当たり前じゃないですか。 『じゃあ何で、あたしの話、ちゃんと聞いてくれないの』 え、聞いてますよ? 『おかしいよ。なんであんなやつと一緒に居られるの? わけわかんない』 いや、だってそれぞれ共通しない友人が居てもそれって普通じゃないですか。 『友達の話じゃないよ。あんな人間のクズ―――』 「ごめんなさい、あなたの事は今でも好きです。好きなんですが、あなたの為に別れさせてください」 大好きな人に、これ以上酷いことを言わせたくなかったのだ。 それだけのことだった。 誰が悪い訳でもなくて(強いて言うなら俺が悪いんだが)他にやりようが有ったかと言われるとやっぱり思い付かない。 「なぁ、男鹿」 「おう」 「俺さ………おかしいのかな」 「何が」 「振られたんだ―――いや、もしかしたら振ったのかもしれない」 男鹿が操作を誤った。 六連鎖のせい、というよりも、俺の一言のせいなんだろうなぁ、というのも何となく分かった。 「振った…?」 驚いている。 そりゃそうか。 自分でも凄くびっくりしてんだからさ。 「ああ…自分でもさ、よく、分かってない」 「なんで」 「………なんで、だろうなぁ………」 ぱたりと、滴が落ちた。 「いや、おい、古市…」 びっくりした。 まさかいい年をこいて泣く羽目になるなんて思ってもみなかったのだ。 ああ、泣いてるのか、と気付いてやっと、自分が相当滅入っていた事を思い出した。 「どうしたんだ? 何が有った?」 あーあ、男鹿慌ててんなぁ… 「別に、なんでも…ないって」 「泣くなよ古市」 「泣いてねぇ、から」 何を言っても逆効果なのはよく分かったので、顔を背けることにした。 泣きながら言ったところで心配させるだけじゃないか。 「だったら、泣き止めよ」 手が遠慮しがちに伸びてくる。 「だから、泣いてねぇって…言ってんだろ」 こいつを傷付けないように説明しきるのは難しい。 だったら、もう黙っておいた方が良い。 「…馬鹿野郎」 ああ、そうだな。 今日ばっかりは否定できないわ。 人を傷付けずに生きていくことはそんなに難しい事なのだろうか。思い付いた順に書いたらこうなった の 悪い例。 2011/04/22